俺のぬし釣り

山口と広島をメインに、102種類の魚を釣るべく我流釣りをエンジョイしまくるブログ。(たまにキャンプにもいく)

【超今更】420記事も何か書いてるけど、そもそも僕とは、いったい何者なのか。がっつり長めに自己紹介します。

最近、ミートソースの作り方を覚えて、自分の中で何かがレベルアップした中元です。

 

はい。すごく今更なのだが、冷静に考えると、まともに自己紹介ってやつをこのブログでした記憶がない

 

とりあえず防府や広島に出没しているのはわかるけど、どこの誰が記事を書いてるのか、あまりにも言わなさすぎだとふと気づいた。

 

ちなみに、見た目的には、友人曰く、割とこれでわかる感じらしい↓

 

―しかしそこから、一体どんな育ち方をして、どんな価値観・思い出を持っているのかはわからない。つまり、その内面は全然体系的にまとめられていないわけで。

 

ひょっとしたらこういったプロフィールはブログ黎明期に書いたかもしれないが、そこから7年経つわけだしなぁ。これもまた、更新のタイミングかな。

 

ってことで自損事故って車を修理に出しているのもあり、今回はがっつり目の自己紹介記事で、お茶を濁そうと思う。

 

どこか1つ、皆様と共通する思い出とか、あるだろうか。それがあることを願いつつ、では、いこう。

 

 

出生~ブログ開設まで。 ―こうして僕は釣りの虜になった―

※これはもちろん僕の写真じゃないですよ


僕の育ちは広島だ。父親が広島出身で、母親が山口出身である。広島のどの辺かと言われれば、ざっくり緑井とか可部とか言えば、何となくわかるだろうか。

 

つまり内陸なのだが、そんな場所で育った僕が、なぜ釣りの、ひいては魚の虜になったのか。時系列はうろ覚えだが、それには大きく分けて3つのきっかけがある。

 

まず1つ目は、確か祖父がくれた、小学館【魚貝の図鑑】である。(調べたらなんと出てきた。感動)


当時、確か5歳かそこらだったと思うが、文字通り僕はこれを自分の血肉にせんとばかりに貪り読んだ100回どころじゃないくらい、読み込んだ

 

魚、軟体動物、プランクトン、イソメ、貝類まで網羅されたボリューミーな図鑑。幼い僕は完全に、未知の世界や生き物に夢中となった

 

美麗なイラストは勿論のこと、コラム・巻末付録まで、隅々まで読みまくったのを覚えている。そして最終的には、破れてセロハンテープで補修しまくるところまでいった

 

これによって、一気に膨大な知識を得たと言っても過言ではない。全ての始まりの1つは、確実にこの魚図鑑である。

 

ちなみに別シリーズとして、【草花】や【昆虫】のそれもあり、やはりそれらもズタボロになるまで読み込んだことを書き添えておく。

 

2つ目のきっかけは、散々このブログでも紹介している海のぬし釣りへの没頭だ。暇さえあればスーファミを起動し、バーチャルの世界で釣りに出かけまくった。

例えばクロカジキにラスボス的なイメージを強く持っているのも、クロダイに入門魚の印象があるのも、全てはこのゲームに根差している。(イソマグロのゴツさも好き)

 

もちろん?攻略本も引き千切れるまで読み込んだ。おかげで、釣り具の用法はさっぱりだが、形状と名前を一気に頭に入れたのもこの時期だ。

 

そして3つ目はなにより、実際に釣りへ連れて行ってもらったことである。田島のドブ川、中関漁港、三田尻漁港。

 

本物の海は、ゲームの世界のそれより遥かに広大で、そして実際の釣りは、遥かに難しく、また遥かに魅力的だった。

 

カサゴ、オイカワ、ハオコゼ。今思えば雑魚とか外道と言われる魚ばかりだが、それでも心の底から僕は楽しかった。だから今の今まで、飽きずにハマっているわけで。

 

―この3つのことが幼少期に重なり、僕は両親・祖父母が引くレベルでこの世界に熱狂することとなる。偶然とも必然ともいえる巡り合わせ。

 

・・あとは、例えば釣りロマンを求めてとか、釣りごろ釣られごろ、大ちゃんのなんちゃらといった釣り番組も、放送されるたびに観ていた気がする。(まだあんのかな)

 

徹底して釣りと魚がばかまぶしされた人生、振り返ると面白いなとつくづく思う。

 

さて。その後、成長するにしたがって文字が読めるようになると、月刊釣り情報(今は釣り画法)を毎月ねだり、全然関係ないエリアの情報まで熟読した

 

ゲームでしか見たことのない巨大魚をバンバン釣り上げる、カラーの取材記事に何度心を躍らせたことか。今でも思い出すとワクワクした気分が戻ってくる。

 

カンパチ、ヒラマサ、ブリ、シイラ、タマン、スズキという魚の魅力を知ったのも、この釣り雑誌だ。ゲームでのそれらは、単に釣るのが面倒な敵だったゆえ・・・。

 

こんな風に読める本の幅が広まると、例えば「釣魚図鑑」とか、「飼育と観察」といった文章量多めの図鑑に熱中して、これまた図書室から借りてきてはむさぼり読んだ

 

もしあの時の図書カードがまだ残っていれば、平成中期の僕がその本を借りまくって読みまくった証拠が、そこに刻まれていると思う。僕の名前しか、そこに無いはずだ。

 

皆がかいけつゾロリデルトラクエストを読みまくっている裏で、僕は図鑑ばっかり読んでいた。まぁ、そういう子だったのである。

 

―ちなみに、キャンプを人生で初めて経験したのは大体この頃で、確か僕が小学5年生の時分だったと思う。

 

うろ覚えだが、それはほととぎす遊園というキャンプ地だったはず。(今は名前が変わっているそうだが)

 

outdoorfun.jp

 

他にも笠戸島とか、もみの木森林公園とか、家族で行ったのをちょっと覚えている。あのときでっかいミヤマクワガタ、採集したっけなぁ。

 

今でこそソロキャンプにも熱中している僕だが、全てのルーツをたどると、子どもの頃に経験した思い出に辿り着くのは本当に面白いと思う。

 

・・ただ小中学生の頃は、流石に船にも乗れなければ、親の仕事の忙しさもあり、今のようなバカみたいな頻度で釣行に出ることはできなかった。

 

だから1回1回を大事にして、毛穴全てで味わい尽くすかの如く、大量の勉強をしてから釣りに臨んでいたような気もする。

 

廿日市市木材港、太田川、古川、草津漁港、1万トンバース、宇品。広島の有名な釣り場と言われるところには、実は一通り足を運んでいる。

 

―現実世界での釣行が重ねられない分は、やはりゲームで補完した。中学生前後で、このブログに根差す価値観・思考のベースとなる、ぬし釣り64にも熱狂した。

他にも、フィッシュアイズ2、松方弘樹のスーパートローリング、ちょっと違うけどテーマアクアリウムなど、魚が登場するゲームには徹底して入れ込んだものだ。

 

特にフィッシュアイズ2とテーマアクアリウムの攻略本は、読み物としても秀逸であり、こちらも呆れるほど再読を繰り返した。結果、国語の点が上がったとさえ思う。

 

カマツカとかヤマノカミといった妙な魚知識は、大体この辺のゲームに根差している。偏りがあるのは承知の上だが、それが個性になっていると思うので、気にしない。

 

・・ちなみに釣りに関係ないところで言うと、へんないきもの」という本やモンスターハンターにハマッた時期も大体この辺、つまり中学生の頃だ。

 

そして何故かBSが映るようにもなった関係で、世界秘境釣行といった、ワールドワイドな釣り番組にも夢中になった。どこまでも純粋な少年である。

 

この番組からは、バラマンディやピラルクといったダイナミックすぎる魚の魅力を学ぶことができた。いつか行ければと、夢想する日が未だに無いわけではない。

 

さて。そんな僕も高校生になると、一旦釣り熱は下火となる。

 

理由は、単に時間的制約が増えたからだ。それでも年イチで友人を搔き集めて、三滝にハゼ釣りへ通った記憶がある。

 

アオイソメを割り勘して、やすっちい仕掛けでハゼを100匹以上釣ったあの日。こういう記憶の方が逆に愛しく、そして鮮やかに残っているのは面白いなと思わされる。

 

・・・そういえば高校生の頃に1つ、とても思い出に残っている釣行がある。

 

大学受験を終えて、合格発表の前日、家で悶々としても仕方ないということで、友人と釣りに行ったのだ。場所は宇品のどこかだったと思う。

 

―僕は試験の出来に手応えが全くなく、新聞に載っていた模範解答とも全然違うことを書いたと酷く気落ちし、本当にうつ病寸前だったのではなかろうかと感じる。

 

その日も文字通りボウズ寸前で、僕はそれを不合格フラグと解釈し、宇品の防波堤で落ち込んでいたのを覚えている。まぁ、病気ですな。

 

しかし納竿寸前、僕の仕掛けが強く叩かれた。引き上げると、20㎝超えの良型のウミタナゴであった。

 

「ほらな!最後まで諦めんなってことだって!」・・あの頃そういってくれたFくんと、そのウミタナゴには、今でもひたすら、感謝しかない。

 

蓋を開けてみれば、結果無事に大学合格を果たしていたのだが、僕の人生の節目節目で魚釣りが絡むのは、本当に不思議な縁を感じてしまう

 

逆に言えば、僕の人生の潮目が変わる際は、釣りが必ず絡むのかもしれない。そう思うと、釣りに対する思いの強さもまた変わってくるなぁ、としみじみする。

 

さて。その後は大学進学を契機として山口へ移住し、以来13年くらい住んでいるわけだが、最初は防府市に4年間住んでいた。そこから大学へ通ったのだ。

 

車を得てからは、中関漁港・向島・中関マリーナ・フィッシングレイクたかみやなど、行きたかったけど行けなかった釣り場へ通い、それなりの釣果を満喫していた。

 

ただし金がどうしてもなかったので、その辺の制約はあった。手が出ない釣り具も山ほどあった。ソルティガとステラをバイト先の釣具屋で眺める度、ため息がでた。

 

そんな中でも、無理矢理バイト代を捻出し、初めて船釣りへ行ったのが、確か大学4年の頃。玄界灘、正確に言えば宗像沖。

 

朝1:30に集合し、船で寝ていたらポイントに着くという、今まで経験したことのないハチャメチャな旅。目を輝かせて、朝から晩まで楽しみ尽くした。

 

もちろん借り物の道具だが、僕はデビュー戦で、ハマチを2本獲っている。この成功体験のせいで、船に行きたいという欲がたまに燃えるのだ!(タイともう1本は頂き物)


―ただその後は、就職もあって釣りから一旦ほぼ完全に足を洗うことになる。その期間、ざっくり1年弱だ。この間、ただただ釣り具を腐らせただけである。

 

その後、なんだかんだで一旦退職することに決めた際、自分に何も残らないことに慄然とした記憶がある

 

拠り所が無いことは、こんなにも不安なのか。あぁ、今からでも、何かを創って、残したい。あまりにも不安定な立場で気づく、潜在的な願望。

 

藁にも縋る思いで、ゼロから何かをストックするべく、思考を巡らせた。今の自分に、何ができるだろうか。当時はまだ、YouTuberも黎明期。そんなガラでもない。

 

ならば、ブログはどうだろうか。文字を書くのは昔から好きだ。学生の頃も、部活のそれを生き生きと書いていたではないか。よし、これにしよう。

 

では書くならば、釣りはどうだろうか。これならば、人に伝えられるネタはあるし、何より、自分が強い熱意を持っている趣味でもある。

 

そんなわけで生まれたのが、この【俺のぬし釣り】というド直球なブログというわけだ。黎明期の記事を読み返すと、余裕も能力もネタも無くて、冷や汗しか流れない。

 

ただ、記事を書くたび、そのネタを仕入れようと足を運ぶ度、楽しかったのは事実だ。今もまだまだ、そのときの熱量と新鮮さそのままで、ワクワクするしな。

 

あのとき設定したヒラマサというぬしを、僕はまだ釣り上げていない。そもそも技量も道具も整っていない。そろそろ叶えないと、僕自身が諦めてしまう。

 

まぁそれは、別のお話になるんだけど、ね。

 

―ということですごく乱暴に、僕自身の紹介と、このブログができるまでの歴史を書き殴ってみた。

 

書いていく内に記憶の底から懐かしい本や番組、地名が蘇ってきて、気付けば結構な文字数に膨らんだので驚いている。

 

どれか1つでも、皆様の記憶と共通する部分はあっただろうか。もしあったのなら、いずれ居酒屋でも山奥でも、杯を酌み交わす日を楽しみにしたいと思う。

 

ということで今後ともよろしくです。では今日はこの辺で。

 

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