第一章 思い立ったが吉日
12月某日。魚への愛と熱にどっぷり浸かりたいと本気で思った僕は、自分の車に乗り込み、ある場所をナビに打ち込んでいた。
それは、『海響館』。
山口県下関市にある、有名な水族館だ。2001年のオープン以来、家族と、そして友人たちと、何度来たことか分からない。
前の記事で言った通り、僕はここで、今一度自分が魚にハマったルーツを思い出すべく、徹底的にそれに浸かることに決めた。
では、誰と行くか。少しだけ考えた結果、同行者は募らず、独りで行くことにした。その方が、より没頭できるしな。
『でも、水族館に独りで居たら、奇怪な目で見られるかも・・』という僕の自意識が、耳元で語り掛けてくる。少しだけ、心が揺らぐ。
だがもう、決めたんだ。そんなメタを振り払うべく、僕は目的地の入力を完了し、少しだけ強めにアクセルを踏み込むのであった。
第二章 興奮の瞬間
時間が惜しいので、近くまで高速道路で一気に向かうことにした。平日なのもあってか、車は少ない。ネズミ捕りに気を付けつつ、走る。
そのドライブは1時間ちょいで終了したが、途中ワクワクが決壊し、独りで何度かニヤけてしまった。我ながら、気色悪い。
高速を降りてからは、少しだけ分かりにくい案内標識に従い、下関市内を走る。10分くらいすると、大きな観覧車が見えた。つまり、もうすぐだ。
立体駐車場に車を入れて、エンジンを切る。カメラを手に取り、車を降りる。外に出た瞬間、興奮から『おぉ』という変な声が出た。
『あぁ、懐かしい!!』僕のテンションは一気に高まった。
ぶっちゃけ、天気は悪い。曇天で、冷たい風が激しく吹いている。木は台風中継の映像みたいにしなり、時折雨さえ混ざる有様だ。
だが、そんなもので僕の心は折れはしない。謎の焦りで1000円札を機械に詰まらせながら、チケットを購入。
たまたまではあるが、ちょっとした熟年夫婦と、大学生っぽいカップルと同時に入場。僕の自意識が、少しだけざわめく。
なるべく平静を装いつつ、受付のコンパニオンさんにチケットを渡し、パンフレットを受け取る。ぎこちない笑顔で返す僕。
さて。メインの展示コーナーは3階から始まるのだが、そこまではスロープ状のエスカレーターで行く。
同行者が居る方々に混ざりたくなかったので、タイミングをずらすべく、その手前にいたなんか華やかな生き物をパシャリ。
ちょいグロテスクな多毛類なのに、クリスマスの装飾に見えなくもない。その後、僕は先行者から少し遅れて、エスカレーターへ乗り込んだ。
昇っている間は、筒を半分に切ったような形の天井に、海の生き物が次々とマッピングされる。映像以外はほとんど闇だ。
同時に波の音などが流れてきた。自分が海の中に居るかのような感覚。意識がどんどんと澄んでいく。
結果集中しすぎて、降りる際にちょっとつんのめってしまった。地味にとてつもなく、恥ずかしい。
努めて冷静に、案内標識に従い、進む。そして、最初に出てきた光景に、僕はハッキリと心が躍るのを感じた。
第三章 アラサー、童心へ帰る
『(す・・・・すげぇ!!!!)』
興奮が僕の自意識を完全に凌駕する。家族連れやカップルに混ざり、ギリギリまで顔を近づけ、僕は食い入るように水槽を覗き込んだ。
悠然と泳ぐスギ。優雅にひらひらと泳ぐエイ。スーパーでよく見るタイやイサキの活き活きとした姿。
『(たまんねぇな・・)』
恐らく僕の目はこの上なくキラキラと輝いていたに違いない。30歳に片足を突っ込んでいるのだが、僕の中の少年の部分が、僕を支配する。
興奮はまだ続く。
見渡す限り、魚、魚、魚。図鑑で見て思いを馳せた彼らが、僕の眼前に居る。何という幻想的で美しい世界なんだ・・・!
人の目など気にしていられない。いや、そもそもそういう発想ごと、どこかへと吹き飛んだ。
気付けば僕は子どもに混ざり、しゃがみ込み、魚を凝視し、シャッターを切りまくった。もはやちょっとした変態だ。職質されても文句は言えない。
ふと気づくと、僕の横で親子が魚を見ている。子どもが僕以上に目を輝かせ、お母さんに質問をしまくっていた。
『なんであのお魚、あごのしたにひげがあるの~?』『なんであのお魚さん、食べられないの~?』
言葉こそ幼いが、自然界の謎についての、結構鋭い質問だ。お母さんがたじろいでいる。
代わりに答えようかな・・・と、僕の自己顕示欲が狂ったことを囁いてきた。流石に、そこまでは、やったらダメだ!今回は理性が勝利した。
しかし、驚いた。引っ込み思案から足が生えてるような存在の僕が、心の底から興奮しているだけでなく、性格までオープンになっている。
好きなものに囲まれると、人間こうなるものなのだろうか。尚のこと、僕が魚に首ったけであること、そのルーツが知りたくなった。
ぶっちゃけ知ってどうこうという話ではないが、言葉に出来た方が色々と恩恵がありそうだし、何より純粋に、興味がある。
好奇心に突き動かされた人間は、強い。些細なことで挫けたりはしない。僕は、そんなことを序盤から考えていた。
さて。まだまだ始まったばかりだ。数多の種類の魚たちが、この先に待っている!僕は足早に、新たな出会いを求めて館内を歩き始めた。
第四章 釣り人と水族館
次に出てきたのは、『フグ』に特化したスペースだ。
下関市は『フグ(特にトラフグ)』が有名で、その養殖も盛んだ。味も絶品で、それをこよなく愛する美食家も多い。
似ているものから、本当に同じ種類なのか疑うものまで、その多様性は興味を惹かれる。
果ては世界各国のフグまでもが展示されており、海響館の気合と徹底さに感服した。
フグのコーナーを抜けると、身近で親しみのある魚たちが出迎えてくれた。
スーパーや市場、または釣りなどで、一度は出会ったことのある魚たちが集結している。
そんな身近な魚を見ていると、いつの間にか釣り人目線になっている自分に気付いた。
単独で動くのか、群れで動くのか?どのあたりを回遊するのか?警戒心はどれくらい強い?タナは?等々・・。
僕の思考は、魚に関係してさえいれば、どこまでも膨らむらしい。水族館でこんなことを考えこむのって、健全なのか不健全なのかはわからないが。
シイラ、スナメリ、ウツボ。一瞬魚じゃないのも混ざったが、関係ない。水の中の世界を垣間見るのは、それだけで面白く、楽しいのだ。
余談だが、僕はダイビングが出来ない。三次元に揺らされまくるあの感覚が体質的にダメで、速攻酔ってしまうためだ。
以前とあるリゾート地でダイビングに挑んだところ、見事に波酔いし、貴重な数時間を異国のビーチで寝て潰す羽目になったほどである。
そういうのもあって、僕がダイレクトで魚と出会うためには、こういう場所に来るか、魚釣りをするかという選択になるのだ。
魚が好きだけど、住処へ直接出向くのは難しい僕。ここは貴重な出会いの場なのだ。
そう思うと、一層この時間を満喫しようという意思が強くなった。
第五章 ナンバーツーとナンバースリー
入館して40分程。僕はついに、大好きでたまらないある魚を見つけた。
それは、『ピラルク』。全魚類で好きなのを10種選べと言われたら、2番目に来るくらい好きな魚だ。
圧倒的な巨体。ほとんど動かないが故の、貫禄のある存在感。古代魚であることを全面に押し出したフォルム。
そして滅多にみられないのだが、水面が爆発する勢いで獲物を捕食する様も、たまらなくカッコいい。
水槽に鼻が付いてもおかしくないくらい、僕はまじまじとピラルクを見つめた。カッコいいなぁ、本当にカッコいいなぁ・・
ということを考えていると、『いや、ちょっと無理~』という女性の声が後ろから聞こえた。え、まさか僕のことか?
一瞬最悪のシナリオを考えつつも、なるべく自然に振り返って確認。
すると、女子大生らしき三人組が、下の方でぐでんとしているナマズを指さして、顔をしかめていた。
確かに、見る人によってはキモいかもな。ただ、価値観は人それぞれ。それが自然だし、それで良いんだ。
僕は彼女らの価値観と自分の好きなものが別に衝突しないことを脳内で確認し、ピラルクの水槽を離れた。
すると、直後に僕の心はまた奪われることになる。
『シーラカンス』の剥製だ。僕はこの魚が、全魚類で三番目に好きである。
以前紹介したフィッシュアイズ2というゲームでは、シナリオのラストでシーラカンスに挑戦できる。いわばラスボスだ。
アタリは超絶少ないうえ、ファイトは滅茶苦茶激しく、少しのミスで簡単にバレる。
初めて釣り上げるまで、結構な時間が掛かった。それだけに、僕個人の思い出も強い。
また、古の時代から姿を変えていないというミステリーも、この魚を魅力あるものたらしめている。
いずれシーラカンスを水槽でみれる日は来るのだろうか。深海魚なので、ダイビングは無理だ。絶滅危惧種なので、釣るのは論外だ。
僕が死ぬまでに何とか叶ってほしい未来である。
ちなみに、僕が一番好きな魚は、5歳の頃からずっと『クロカジキ』である。
https://oceana.org/marine-life/ocean-fishes/blue-marlin
コイツが水槽で泳いでいる姿は、想像がつかない。恐らく、技術的に無理だろう。直接出会うためには、やはり釣るしかない。
身体が動くうちに、ファイトしたい。一層僕の願いは強まった。
第六章 関門海峡を見ながら
館内からは、関門海峡を一望することができる。大橋の白と海峡の碧が対照的な、映えのある光景である。
何故かこの時、最近見た『風立ちぬ』というジブリの映画のことを思い出した。
主人公の堀越二郎は、心の底から夢中で何かに取り組んでいるとき、少年の顔に戻っているのだ。
もしかしたら僕もそうなのではなかろうか。それくらい、オトナである自分が抱く考えは、綺麗さっぱり頭から消えていた。
シゴト。ネンレイ。フシマツ。シュッセ。カチカン。チョキン。ロウゴ。アンケン。
考えたくもないことを考えないのは、極めて難しい。だが、今のところ、それらは僕の思考に現れてはいない。
どこまでも純粋な、『好きなもの』を『好き』と確認する時間。本当に楽しい。気分が良い。
―ふと時計を見た。まだまだお昼過ぎだ。そして館内マップを確認した。まだまだ半分程度しか終わっていない。
それに気づいた瞬間、ほうっという吐息が出た。温泉に入ったときに出るような、充実感に満ちた吐息。
順路の矢印が示す先を見る。たくさんの水槽が並んでいる。それに吸い寄せられるようにして、僕は再び歩き始めるのだった。
―つづく