第六.五章 水族館を求める人たち
水族館に着いてみて少し驚いたが、他のお客さんは、別にカップルか家族連れだけでは無かった。
例えば大学生らしき女子グループも居たし、老夫婦も居た。本当にそうかは分からないが、独りで水槽を眺める方も、実は居た。
お前が言うなという話なのだが、若い恋人が愛を語り合う場として定番の水族館に、彼ら彼女らは他に何の目的を持ってくるのだろうか。
僕は純粋に魚が大好きだから来たのだが、同じのが動機の人は少数派だろう。単なる時間潰し?それとも観光マップに載っていたから?
―もしかしたら、ちょっと現実に疲れているから、というのがあるのかもしれない。
優雅に泳ぐ魚たちを見ていると、ドロドロしたリアルが、透き通る青に溶けるように消えていく。もしかしたらそういう狙いもあるのかもな。
―まぁ、他の人たちのことは、どうでもいいか。周りの人から見れば、僕の存在がどうでもいいのと同じように。
一瞬そんなことに思いを馳せた後、僕は再び水槽に向き合った。
見ると、アザラシが背筋を伸ばして直立している。あまりのシュールさに、少しだけ笑いが出た。
―そんな僕に、ある声が掛けられたのは、この直後のことだった。
第七章 同じ熱を持つ人
『今から当館で一番地味な生物の餌やりを行います。よろしければどうですか?』
見ると、海響館のスタッフが二人立っていた。
片方は作業着が板についている、ベテランぽい30代後半くらいの方。
そしてもう片方は、見習いだろうか、作業着姿がどこか初々しい、若い女性であった。ちなみに僕に声を掛けたのは、ベテランさんの方だ。
『ぜひ!』と返事をし、僕は呼ばれた水槽へ近づく。そこは干潟を再現した場所で、トビハゼ、マハゼ、カブトガニが居た。
そこから軽く、ベテランの方からレクチャーを受けた。
『皆さんこちらをムツゴロウと呼ばれるのですが、ムツゴロウの方がもう一回り大きいんですよ』
『今から餌を与えますが、背ビレを立てている個体は、威嚇のサインです。注意してみてみると面白いかなと』
『魚にも関わらず、トビハゼは水を避けます。でも乾燥したら弱いので、時折泥の上を転がったりして、それを防ぐんですよ』
―僕はハッキリと圧倒された。同じ『好き』を感じたから。同じ『熱』を感じたから。僕は気付けば話に熱中していた。
『これは何を調合した餌なんですか?』と聞く。
『これは海藻とかもろもろを混ぜたものです。撒くとすぐに寄ってきますよ』
そういうと、ベテランさんは、餌を泥に撒いた。
群がるトビハゼ。そして一心にそれをつつく。その姿に、僕はハッキリと心をときめかせた。(背ビレを立てているのもいた!)
その後は、オキアミとアサリのむき身を投下。オキアミはマハゼ用とのことで、投入されるや一目散にかじりついていた。
そしてアサリこそカブトガニ用で、その捕食シーンが、当館一地味なのだという。アサリをカブトガニの眼前?に、ベテランさんが落とす。
まるでルンバのように接近し、そして離れる。アサリは少しだけ無くなっていた。
『ね、地味でしょう?』とベテランさんが苦笑する。
『いや、貴重な場面が見れて面白いっす!』と僕は無邪気に返す。
その後も本当に色々なことを聞いた。オスとメスの甲羅の形の違いと、その理由。甲羅に付けられたマークの意味。
そして、ベテランさんが知りたい、カブトガニの謎。(産卵期に接岸する頻度が、個体ごとに違うのは何故か、等)
ぶっちゃけ今までカブトガニにそんな興味は無かったのだが、今回のレクチャーで一気にそれが湧いた。
本当に人を動かすのは、小手先の話術とか、そんなのでは無いのかもしれない。
好きだという熱意。伝えたいという想い。そういったややスピリチュアルな方が大切なのかと思わされた。
気付けば10分以上話を聞いていた。これ以上餌やりを止めても申し訳ないので、お礼を済ませ、僕は移動を開始。
僕の心は一層躍っていた。魚に、だろうか。それとも、同志に出会ったことに、だろうか。
ま、どちらでもいいか。楽しいことには違いないんだ。
僕は心の底から、海響館を満喫している。
第八章 海響館
その後の展示は軽い感じで楽しんだ。
希少な白いマダコ。こんなに目立つのに、天敵に捕食されないまま成長したのは極めて珍しいという。なんか幸運にあやかれそうだ。
ペンギンのコーナーもきちんと見た。今まで強い興味を抱いたことは無かったが、この日初めて『結構かわいらしい』と何故か思えたっけ。
―ということで、僕の海響館ツアーは、ざっくり1時間30分で終了となった。一応ショップに立ち寄り、記念に何を買おうか考える。
マグカップか?いや、普段あんまり使わないな。懐かしのカレーにしてみるか?いや、食べたら無くなるものはなんか違うな。
そうやって少しだけ迷っていると・・・あるアクセサリーに目が留まった。
それは、シーラカンスを模したネクタイピンと、シーラカンスがオシャレに刺繍された、ネイビーのネクタイだ。
僕はハッキリそれに一目ぼれし、矢も楯もたまらずレジにそれを持って行った。そして、カードでそれを一括で払う。
海響館のロゴが入ったビニール袋。それを下げて、ルンルン気分で出口へ向かう僕。
すると最後に、壮大なオブジェが僕を待っていた。
シロナガスクジラの骨格標本だ。ちなみにこれ、完全なる本物である。世界でも極めて稀なのだとか。
これを写真に収めるためなら、羞恥心など何のその。僕は必死でベストなアングルを探し、結果が上記のやつである。
何点だろうか。個人的には120点なので、どうでもいいのだが。
『ああ、楽しかった!また近いうちに絶対来よう!』
興奮冷めやらぬまま、僕は海響館を後にするのであった。
第九章 唐戸市場
水族館を出て、木でできたデッキを海沿いに歩くと、下関に来たら外せない『唐戸市場』がある。
出川哲郎が寺門ジモンたちとバイクで訪れていたのを見たことがある。その時に全員が舌鼓を打っていたお寿司、是非とも食べてみたい。
その一心で、悪天候の中、めげずに歩いた。空は曇天で、風が強い。雨脚はそんなに強くないものの、目を開けるのがしんどい。
市場が見えた瞬間、積まれていた発砲スチロールが吹き飛ばされた。おいおい、荒れすぎだろう下関。
ということで到着。ぶっちゃけ昼過ぎで、かつ昼間だったので期待してなかったが・・・。
想像以上だった。
人が居ねえ。
市場なのに、閑散としている。食べ物はおろか、そもそも何かを売っている様子すらない。これは完全にしくったぜ。
しょうがないので、2階の飲食コーナーへさっさと移動。だがコチラは、何故か長蛇の列で大混雑!
独りでも流石に入れそうにない。それに、名前を書いて待つのもなんか面倒だ。
そんなワケで、僕は来た道を少し引き返し、実は気になっていた施設へと移動した。
第十章 カモンワーフと下関の幸
それはここ。
ぶっちゃけ、唐戸市場の近くにも飯が食えそうなところがあるなぁ・・という失礼な印象を抱いていたのだが・・。
ここに行ってみて正解だった。僕が選んだのは『すし遊館』。
何とかカウンターに席も取れたので、落ち着いて寿司が頂けそうだ。
さて。あまり長っ尻しても仕方ないので、好きなもの、気になるものをピンポイントで頼むことに決めた。
まずオーダーしたのは、一番好きなネタのシマアジ。
脂のノリは最高ながら、全くクセのない味わい。中トロとアジの良いとこどりみたいな贅沢さ。これは不動の一番かも。
その後も白身を中心にオーダーした。なかなか市内ではお目に掛かれないネタが嬉しい。
ヒラマサの上品な味わいも好きだ。これぞ高級魚!という旨味。
もちろんカンパチだって美味しい。ヒラマサより身が柔らかく、シャキシャキ系が苦手なら、こっちのが吉かも。
もちろん、炙りサーモンも鉄板の美味さだった!
―まだ小腹が満たされた程度だったが、次の目的地もあったので、ここから〆に移る。
まず、まぐろの三種盛り。
手頃な値段で良いとこどりが出来、本当に最高であった。(一時期脂だらけの大トロが苦手だったが、ここのは滅茶苦茶美味かった!)
そして、最後の一皿は高級魚ノドグロ。お値段なんと800円!
だがその値段を裏切らない絶品だ。アクセントにさりげなく散らされた岩塩が嬉しい。
このノドグロをもって、昼食は終了。滞在は20分ちょいで、支出は3500円ほど。このワガママスケジュールも、独り旅の醍醐味である。
―腹が満たされれば、悪天候の寒さも、体感的に少しは和らぐ。そんな中を歩き、車へと帰る僕。
このままいっそ門司港にまで遊びに行こうかと思ったが・・・。
やはり、今日の旅は下関で完結させよう。
そう思い、僕はある場所をナビに打ち込み、最終目的地へと移動を始めたのだった。
第十一章 いい湯だな
最終目的地はここ。『晋作の湯』である。
高杉晋作ゆかりの地・東行庵すぐそばにある温泉で、建物の作りはシンプル、かつ風情があり良い感じである。
入浴料600円を払い、ざぶんと入浴。客は、僕とおっさん数名だけで、考え方次第ではほぼ貸し切りだった。
『(幸せだなぁ・・)』
熱いお湯に肩までつかりながら、そんな極楽なことを考えていた。寝たら溺れるので、そこにだけ気を付けつつ、目を閉じて至福の時を噛み締める。
もちろん、露天にも入った。紅葉はまだ不完全だったが、それでも十分綺麗である。
ゴツゴツした岩で周りがコーティングされた浴槽。数本の紅葉。それらを、竹で出来た垣根がぐるっと囲んでいる。
風情がある。ありすぎる。もっとそれらが色づく季節に、そして夜に入ったら、もっと感じることがあるんだろうな・・・。
気付けば、寝る寸前まで気分が良くなっていた。もうここで満足だし、眠気がマックスになると帰りに事故るので、20分ほどで風呂を出る。
さっさと着替えた僕は、そのまま自宅へ向けて出発した。下関そのものの滞在時間は4時間ほど。
『自分が魚大好きになったルーツを探る!』
立派な大義名分を掲げながらも、ずいぶんとコンパクトな旅である。
だが、素敵すぎる思い出を大量に得られた。やはり、素晴らしい。下関。独りで来ても、素晴らしいものは、素晴らしい。
すっかりほだされた僕は、帰り道もテンション高く、法定速度は守りながらも、気持ちよく車を走らせるのであった。
―つづく。